エースパイロット坂井三郎氏の動画をいくつか貼っておきます。
帝国海軍のエース・坂井三郎と、ライバルだった米海軍のエース・サザーランド
3分55秒より、坂井三郎とサザーランドの戦い(再現動画)。坂井三郎の勝ちでした。
ゼロ戦のエースパイロット坂井三郎氏が、大村の海軍航空隊に配属されていた当時の記録があり、坂井三郎(さかい さぶろう)氏の著書「大空のサムライ」に書かれています。大村の片町や本町の表通りはもとより、裏道まで、すべて熟知されていたそうです。
戦後30年 ゼロ戦エースパイロット 坂井三郎氏がゼロ戦を語る 昭和50年/1975
坂井三郎氏は、大村海軍航空隊に所属していた時期があり、大村・本町では名前が知られていました。本町(ほんまち)商店街の、当時5才の「まさこちゃん」という子供がなついていたそうです。ご存命なら75才〜80才くらいでしょう。また、出撃のときは、大村神社に参拝され、当時の大村での写真がたくさん残っています。
坂井三郎写真集 大空のサムライ
左側の写真は、現在の市役所前、ジャスコの場所。以前は海で、海水浴ができ、潮干狩りができた。
さらに、同時期、大村で戦艦大和の最後の通信を受信した、海軍士官・森嶋通夫(もりしまみちお、後の大阪大学教授、ロンドン大学教授、英国アカデミー会員)氏の大村の記録が、著書「血にコクリコの花咲けば」に書かれています。
日本とアメリカは海と空の戦いでしたが、ドイツとソ連は陸の戦いでした。
このころ、ヨーロッパ東部戦線 ドイツ、ソ連の戦車戦