日本人初の世界銀行副総裁となった服部正也(はっとり まさや)先輩 2

日本人初の世界銀行副総裁となった服部正也(はっとりまさや)先輩

写真(上)は、大村高校100周年(昭和59年/1984年)記念の日、大村高校で生徒に向けて講演された服部先輩です。服部先輩の講演を聴いたのは37回卒・38回卒・39回卒です。

さて、服部先輩のことが、別の本に出ていたので書いておきます。

海軍

帯(おび)に新刊となっていますが、新刊ではありません。25年前(平成2年・1990年)つまり、大村高校の現校舎が竣工したときの本です。

服部先輩のことが登場するのは「腐れ士官の捨て所」という章です。
士官

関連することは、海軍の暗号解読班は、神奈川県横須賀市久里浜にあり、久里浜と大村に関連する人物は、大村海軍航空隊に所属し、米軍と戦い戦艦大和の最後の電文を大村で受信した森嶋通夫(もりしまみちお)氏。

暗号解読のことは、「血にコクリコの花咲けば」にも詳しいです。森嶋通夫(もりしまみちお)氏は、京大経済学部学生から学徒動員。戦後は、ロンドン大学、大阪大学教授になった人物です。

大村のことについて書かれた本
第二次世界大戦中の大村のことを記録した本。 本の名は血にコクリコの花咲けば。 著者は大阪大学名誉教授、ロンドン大学名誉教授、そしてイギリ...

当時、大村と神奈川県横須賀(よこすか)市久里浜(くりはま。現在、防衛大学校があるところ)は、飛行機の定期便が就航。現在とさして変わらない2時間程度で、大村から神奈川県まで行けたそうです。

防衛大学校

海軍は情報を重視せず、暗号解読を軽視していたことが、「海軍こぼれ話」にも「血にコクリコの花咲けば」にも出ています。

服部正也先輩とは?

日本人初の世界銀行副総裁となった服部正也(はっとり まさや)先輩 1
● 服部正也(はっとり まさや) 大正7年~平成11年/1918~1999 日本人初の世界銀行副総裁。 旧制大村中学より、一高...

経歴
大正7年生~平成11年没/1918生~1999没

服部(はっとり)先輩の経歴

服部(はっとり)先輩の経歴

日本人初の世界銀行副総裁。経歴は、旧制大村中学より、一高(東大教養部)に1番で合格。長崎県内初の快挙。一高を経て、東大法学部に進学。日本銀行、ルワンダ中央銀行総裁を経て、日本人として、そしてアジア人として初めての世界銀行副総裁に就任された。

服部先輩の著作(現在も売れ続けています)

日本人初の世界銀行副総裁となった服部正也(はっとり まさや)先輩 3

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