大村高校と札幌の公園

人口191万人の北海道・札幌市には巨大な公園が三つあります。

人口

一つは大通公園、もう一つは中島公園、そしてもう一つは円山公園と言います。

実は、三つともに、大村の長岡安平(ながおかやすへい)先輩が設計したものです。

冬の大通公園で、札幌雪祭りが開催される。

冬の大通公園で、札幌雪祭りが開催される。

大村高校と、大通公園・北海道大学のつながりは、こちらに書かせていただきました。

【在校生向け】大村高校と北海道・札幌市
札幌市は人口191万人。福岡市(人口146万)より、大きい。人口が増加しており、いずれ名古屋市(人口226万人)を抜くのではないかと言われて...

北海道大学は、札幌駅から徒歩で行くことが可能です。

写真は、札幌駅です。真冬ですので、雪が積もっています。
札幌駅

中島公園入り口(札幌市営地下鉄駅)

中島公園入り口(札幌市営地下鉄駅)

中島公園

地元の大村ではほとんど忘れられているのに、長岡安平先輩のことを、札幌市や秋田市(千秋公園)が紹介しています。

中島公園に関して 札幌市による紹介 中島公園の歴史より引用

1886年(明治19年)12月15日付で、『中島遊園地』が札幌区に編入され、正式に中島遊園地という地名になりました。

一里四方の本府の南側にあり、川の流れや池の風情に優れた中島遊園地には、物産陳列場での様々な品評会、競馬場での競馬も人気を呼びましたが、 1888年(明治21年)に現在のこぐま座の裏手に料亭の大中亭を設け、池にウグイを放して釣り堀にすると共に、ボートを浮かべて船遊びの場所として利用 が始まっています。

23年24年にもコイや金魚の放流が行われており、池の中もどんどん賑やかになっていったのです。

岡田花園や大中亭などは、宴会の場所としても人気を集め、数百人規模の園遊会すら催されていたようです。

自前ではなかなか整備が追いつかない当時の行政に代わり、民間活力の活用によって公園整備が進められていったともいえるでしょう。

そのような賑わいのある場所として、中島遊園地は市民にも親しまれる場所として定着していきましたが、1907年(明治40年)には、当時わが国最高の造園技師といわれた東京市の長岡安平氏に、円山公園と共に公園設計を依頼しています。

二年後に提出された設計図は三つの工区に分かれていました。

第一区 自然の美景、池の拡張、遊船、岡田花園の改良
第二区 豊平川堤防整理、自然動物園設置、清水・池づくり、公会堂建設予定地
第三区 池と植林、花卉、遊泳場の設置

こうして1910年(明治43年)には整備工事を実施し、公園としての体裁を整えていくことになったのです。この年、それまでの中島遊園地から「中島公園」と呼ばれるようになっていきました。

(参考:「中島公園百年」山崎長吉著、北海タイムス社、1988)

長岡安平先輩が設計した円山公園の隣、北海道神宮にある六花亭の判官さま。梅が枝もちのような皮なのですが、あんこが違います。
はんがんさま

はんがんさま2

この日、マイナス5℃くらいで、外を長時間あるけなくて。みんな考えることは同じで、暖がある茶店は大繁盛してました。大村の先輩、北大総長になった南鷹次郎(みなみ たかじろう)先輩や公園を設計した長岡安平先輩、ともに、寒い中頑張ったのだと思いました。

はんがんさま

大村高校写真部OBリンク

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