大村高校の校歌を作曲した信時潔(のぶとき きよし)氏

大村高校・校歌作曲者の信時潔(のぶとき きよし)氏を詳しく研究した本が平成17年(2005年)5月に発売されました。写真はその本です。

経歴

大阪生まれ
明治43年(1910年)東京音楽学校(現在の東京芸術大学)本科器楽部を卒業
大正4年(1915年)東京音楽学校(現在の東京芸術大学)研究科作曲部を卒業
大正9年(1920年)ドイツ留学 シューマンに直に作曲を学ぶ。
大正12年(1923年)ドイツより帰国し、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)作曲家教授= 昭和7年(1932年)まで作曲家の教授で、多くの門弟を育成。

大村高校校歌、大村市歌、慶應義塾大学の塾歌、そして学習院の院歌などを作曲。

大村の分校だった諫早高校校歌も信時潔氏作曲です。大村の場合、大村市歌の作曲者も信時潔氏、旧大村高等女学校の信時潔氏です。大村と信時潔氏のつながりがわかります。

諫早高校との違い、書いておきますね。

1.大村高校校歌ができた後で諫早高校校歌ができた
2.諫早市歌は作曲者が信時潔氏ではない
3.大村の分校だった諫早

ゆえに、大村高校と諫早高校では、背景の事情も経緯も違います。

作曲者

諫早高校は、過去から現在まで、財界も学界も人材がでておらず、東京には縁がない学校なので、確かにそうなのかもしれませんね。

学習院

本から引用

戦前、日本人の鎮魂曲(ちんこんきょく)であった「海ゆかば」の作曲家の真実。中略 忘れられた名曲「海道東征」(北原白秋 作詞)とともに蘇(よみがえ)る。

海ゆかば

海道東征 第一章

海道東征 第二章

海道東征は第八章まであるようです。作詞は福岡県柳川市出身の北原白秋です。

さて、「海ゆかば」は、万葉の歌人である大伴家持(おおともの やかもち)が作詞したもので、信時潔(のぶとき きよし)氏が作曲。また、「海ゆかば」は、昭和58(1983)年に映画となっています。監督は宇宙戦艦ヤマトトラトラトラなどで有名な舛田利雄(ますだとしお)氏。

トラトラトラというのは、日本が大東亜戦争を開戦するにあたり、「真珠湾攻撃に成功」した時の暗号です。

上記の動画1分20秒に登場している、真珠湾攻撃時の海軍の源田実(げんだみのる)中佐は、戦後、参議院に立候補し当選。参議院議員に立候補時、大村で講演会(おそらく市民会館)が開かれました。実は、子供の時、祖父につれられ、まったくどんな人なのか知らずに講演に行きました。講演の内容はおぼえていません。源田中佐は歴史上の人物ですが、わたしにとっては、実際に見たことがある人物です。

ところで、この3月に産経新聞に掲載されていた信時潔氏について。大村市や大村高校の校風にふさわしい作曲者だと思います。組合系の先生たちがこのことを知っているらしく、最近、大村高校では、故意に、校歌を歌わせないように仕向けていると聞いています。さて、今年はどうなんでしょう。保護者は、入学式と卒業式に、生徒は入学式、終業式、始業式、卒業式で、わかるかもしれません。

産経新聞
nobutoki

大村高校の校歌 2
●大村高校 校歌 大村高校の校歌は、すでに昭和26年(1951年)から、改正教育基本法(平成18年/2006年 12月15日成立)に、...

大村高校写真部OBリンク

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