大村高校の始まりは三百三十七年前。
福島県立会津高校が全国1位ではない理由と大村高校とのつながり
日本初のキリシタン大名・
大村純忠(おおむらすみただ)は、天正の少年使節をローマに派遣し、キリスト教の布教を許可しました。
また、当時、人口が少なく、不便で辺鄙(へんぴ)な村だった肥前
長崎村(現、長崎県長崎市)を開港し、土木工事を施(ほどこ)しました。それから、長崎村に人が住めるようになりました。

*
広辞苑第六版より引用
さて、大村高校は、日本初のキリシタン大名・
大村純忠(おおむらすみただ)から数えて四代目の大村藩主・
大村純長(1636〜1706)公が、1670年に玖島城桜馬場(くしまじょう さくらばば、現在の大村公園)に開校した学校が発祥です。
つまり、337年前、大村高校は
九州で1番に設立され(No.1)、九州の中で
17世紀から続くただ一つ(only 1)の学校なんですよ。
また、大村高校の発祥は1670年。幕府によって1673年に作られた長崎村の長崎奉行所(復元して長崎市が古さを自慢している
長崎歴史文化博物館)より、大村高校の発祥のほうが3年早い歴史的事実があります。
大村高校を発祥させた、江戸 (現在の東京23区) 育ちの大村の殿様・大村純長 ( おおむら すみなが 1636〜1706)公は、九州内の他の大名より、チャレンジ精神にあふれていました。
なぜなら、
1.そのころの九州では誰も考えつかなかった
学校というものを創設したこと。したがって、
九州で初めて生まれた学校が大村高校なんです。
2.、当時、漁業ビジネスで成功し、大金持ちになった深沢義太夫(ふかざわぎだゆう、お墓は
長安寺)さんに、歴史に残る潅漑(かんがい)用の湖・
野岳湖(のだけこ)の築造を許したこと(野岳湖は現在も使用されています)。
*大村家のお墓は
本経寺にあり、
●日本の
指定文化財(つまり、日本の宝)となっています。深沢義太夫のお墓は大村市の
指定文化財となっています。
■長崎県立大村高等学校(ながさきけんりつおおむらこうとうがっこう)は、長崎県大村市にある、現在は県立の高等学校です。
地図:大村高校はこちらです。 |
天気:現在の大村
■県立ではなかった大村高等学校。ユニークな歴史。
実は、大村のほうが長崎より伝統があり、かつ、日本の国や社会の発展に貢献した人材は、ほとんどが大村から輩出されている事実があります。
大村出身の人材に関して
まとめれば、大村高校の発祥は、長崎県が成立する215年前。前例がないのに創設した藩主・大村純長 公の先見性を感じませんか?
全国レベルで見れば、大村高校は、
九州で1番に開校した学校で、全国で岡山県の
岡山朝日高校(1669年開校)に次ぎ2番の伝統を誇っています。なお、全国で3番目の開校は、
山形・米沢興譲館(よねざわ こうじょうかん)高校です。
大村高校の沿革
大村高校の魅力は伝統や歴史だけじゃない!
■1670年の設立より、337年の歴史を持つ大村高校。
また、大村高校は地域の中核校であり、
大村城南高校と
諫早高校、そして
長崎明誠高校は、大村高校から分離して設立された学校です。
大村高校の子供たち、ジム3兄弟

*JIM(ジム)・・・城南のJ、諫早のI、明誠のM。
大村高校の分校だった諫早高校 |
大村高校と大村城南高校、長崎明誠高校
■九州内で
1670年設立の
大村高校以降設立された学校で、現在まで存続している高校。
順に、
1755年設立の熊本市済々黌[せいせいこう]高校(済々黌高校と熊本高校)、
1784年設立の福岡市・福岡県立
修猷館(しゅうゆうかん)高等学校と、
1796年設立の久留米市・福岡県立
明善(めいぜん)高等学校が続く。
● 広島・福山誠之館 東京同窓会作成:藩校物語
■長崎県内主要高校の歴史