2006年02月06日

●がんばっていきまっしょい!(2)

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写真は大村湾の寺島沖にて。
2年男子クルー艇から、1年生クルー艇を撮影。

大村高校女子ボート部は、映画版「がんばっていきまっしょい」松山東高(実在)と同じ1976年に、長い眠り(休部)から目をさました。そして復活。


男子ボート部の復活も、1976年だった。



どうしてボート部が復活したのか?の話はこちらです




当初の女子ボート部は、部員が1年生4名しかおらず、試合に出場できなかったようだ。写真では、1名が男子に交じって、コックスをやっている。まるで、TV版「がんばっていきまっしょい」みたいじゃないか。


男子ボート部員は、2年生が6名、1年生が8名くらいだった。


私はボート部員ではなかった。しかし、2年の部員6名中2名が、毎週の数学のテスト前日に(勉強のため)練習に参加しなかった。そのため、部員ではない私がコックス(「キャッチ!ロー!」というかけ声と共にラダー板を操作して船の針路を舵でとる役目)をやったことがある。にせコックス。


コックスをやりながら、写真など撮っていて、のんきなものだった。


コックスだったのは、私の体重が軽かったため。また、家が艇庫(大村高校ボート部は史跡である御船蔵跡に艇庫がある)に近かった。


実家からスイカを持っていって、大村湾の沖合で、メンバーと共にスイカをボートで食べたことがある。


また、一度、ボートが転覆したこともある。


カメラが海に落ちても良いように、ジップロックのようなビニール袋を持参していたため、転覆して海に落ちたときも、カメラは助かった。


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2006年02月05日

●がんばっていきまっしょい!(1)

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遠方より2艇は大村園芸高(現、大村城南高)クルー。


手前の1艇が大村高校1年生クルー、そして私が乗艇しているのが(写真には写っていない)、大村高校2年生艇。


写真からもわかる。こんなことで、大村園芸に勝てるわけがない。きっちりとトレーニングをこなし、オールが揃っていた大村園芸。


むちゃくちゃな練習だった大村高校クルー(当時)。大村高校1年生艇には5人乗り(コーチを入れても6人まで)のボートに7人も乗っている。


勝てなかった理由がわかる。練習時点で、すでに大村園芸に負けていた。


ただ、ゆるい練習のおかげで、写真の撮影ができたので、たくさんの記録が残った。


この当時のボートはナックル艇といい、1人で1本のオールを漕ぐ。スピードは出ないものの、艇が安定していた。


現在は、シェル艇といい、1人で2本のオールを漕ぐ。スピードは出るが、艇が安定しないことがあるのだそうだ。*私は、ナックルに乗ったことはあるが、シェルには乗ったことがないので「だそうだ」とした。


このころの社会
▲上写真を撮影した2週間後くらいに、日本全体を震撼させた「ベレンコ」事件がおこった。北海道に、旧ソビエト連邦から低空で戦闘機が侵入し、函館空港に着陸した。戦闘機のパイロットは、ベレンコ中尉と言った。ベレンコ中尉事件1


それから、逃げてきたやつという意味で、「ベレンコ」という言葉ができた。今は死語になっている。しかし、映画版「がんばっていきまっしょい」で使用されていた。

映画版

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2005年09月24日

●暑く熱かった日

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上の写真は、こちらの記事の続きです。


フィルムを、コダックのトライX(ISO400)にしていた。そのため、海の強力な光で、絞りF16、シャッタースピード1000分の1秒でシャッターを切らざるを得なかった。カメラは、ミノルタSRT101、レンズはロッコール55ミリ。

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2005年09月04日

●1年生の仕事

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本文

ボートの清掃は1年生の仕事だった。たしか、あのころ当番表があったような...


数日前、当ブログを見た感想ということで、発足したばかりだった大村高校ボート部初代キャプテン(同期、30回卒)からメールをいただいた。


ボート部の正式部員でもない拙者を乗艇させてくれたのは、キャプテンのおかげ。当時のボート部の記録が残ったのは、キャプテンの寛大な気持によるところが大きいと思っています。感謝。


初代ボート部キャプテンのエピソードとしては、よくハダシで大村公園をマラソンしておられました。夏は、暑さで道路のアスファルトが猛烈に熱せられているのに、飛び跳ねるようにして「あつか!あつか!」と言いながら、がんばっておられました。


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2005年08月30日

●大村高校ボート部のエレベーター

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写真は、大村高校ボート部の艇庫にて。


他校と違い、練習時、大村高校ボート部は、ボートを運搬しなくてよかった。直接、海にボートを出せた。


他校の場合、ボートを海(あるいは川、湖)まで運ばなければならない。たとえば、大村城南高校ボート部の場合は、特製リヤカーにボートを積んで海まで運搬している。


大村高校ボート部は、まるで、基地のように海に直(じか)に接しているため、他校より労力を使わずにボートを出し入れできた。


その装置をエレベーターと呼んでいた。


現在はどうなっているんだろうか。

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2003年06月21日

●ボート部1976c

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ボートの練習中に、頭上に長崎空港着陸前の飛行機が飛んできていた。

みんな飛行機の型とタイムテーブルを暗記していた。
15時だから、東京からのトライスターだ、14時のボーイング727だから大阪からの飛行機だというふうに。

ボーイング747(ジャンボ)が東京←→長崎に就航するのは1978年なので、この当時は、まだジャンボは大村(長崎空港)では見られなかった。

バックは多良見町付近。


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真剣な顔での練習。
このころ、ダブルはやってなかったのだと思う。
シングルは、下級生が練習していたようだった。

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2003年06月20日

●ボート部1976b

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大村湾海上にて。多良岳(長崎県と佐賀県の境界山)をバックに大村市久原付近です。

拙者は体重が軽かったのでコックス見習いとしてボートに乗っていた。その海上に出たときの写真。

ボートで海に出ると心地よかった。陸(おか)のことなど、どうでもよくなっていた。

海に出たあとは、カメラの手入れが大変だった。


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大村湾海上にて。背景は多良見町付近。

練習する海域が近いので、練習中、大村園芸高校(現、大村城南高校)との併走することも多かった。

この当時、高校総体では大村高校(写真手前)は大村園芸高校(写真奥)に、まったく勝てなかった。

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2003年06月19日

●ボート部1976

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1976年(高2)8月 ボート部にて(御船蔵跡)
バックのボロボロな家が艇庫。


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玖島(くしま)崎を前にして出港

高2。夏の補習授業の後、一目散(いちもくさん)に艇庫に行った(学校から自転車で5分で海と艇庫)。

艇庫が、日本初のキリシタン大名・大村純忠(おおむら すみただ)時代の、ポルトガル船来港の場所である御船蔵(おふなぐら)跡という、由緒正しき場所にあるのが、大村高校の一つの誇りかもしれない。

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