2008年01月06日
●体育祭 1977年
写真は31回卒女子が高2時のもの。体育館側を背景にして、国道34号方面を撮影。
体育祭は3年分、動画が残っています。フィルム8ミリで撮影したものです。
私は体育祭の時、高1、高2、と2年間応援団長をしました。応援団長をしながら、写真も動画も撮影するのは、時間の切り分けが、実にやっかいなものでした。しかし、なんとか、写真も動画も撮影し、現存しています。
2007年より大村高校が採用したブロック対抗は、30年以上前の1970年代の大村市立玖島中学で実施されたが、その後、いい評判を聞いていないのだが。学年間のカベを破る目的だったのだろうが、理想は現実とは違っていた。学年や学級のカベは、一度くらいの体育祭ではなくならなかった。以前より、バラバラで、思い出に残りにくい体育祭が生み出されたように思えた。学年対抗のほうが、記憶にのこる(思い出として貴重な)体育祭だった。
過去、成功していた方式を新たに変更するにあたって、大村高校は、過去の事例を調べなかったのだろうか。それとも、何か、大きな秘策があるので、導入されたのであろうか。大村高校は具体的には開示していないようなので、何もわからないが。
とにかく、2007年にもなって、30年以上前の玖島中方式が、大村高校に導入されてしまったようだ。昔の中学校のやりかたが高校に導入された。大村高校の方々は過去の事例を調べなかったのだろうか?
当時の玖島中方式は、全学年を統合し4ブロックに分割し、Aブロック、Bブロック、Cブロック、Dブロックに分けた。2007年の大村高校は、1班、2班、3班、4班という、かなりおかしな名称のようになったようだ。また、おかしなことを何も疑ってもいないところに、何だか、問題があるようにも思えるのだが。
なぜなら、100人以上の集団を日本語で「班」というのは間違っていないだろうか(間違っている可能性が高い)。いまどき班という呼称は古すぎないだろうか?おそらく何も検討しなかったのだろう。国語の先生は意見を具申(ぐしん)しなかったのだろうか?
*日本語の場合「班」は4人から6人の集団を意味する。
おそらく、あんまり頭をを使わないで、アイディアも出さないで、換骨奪胎(かんこつだったい)もしないで、鵜呑(うの)み方式で取り入れられたのであろうか。
実際、100人以上の集団を「班(はん)」などと呼ぶ、日本語としておかしな呼称にすべきではないだろう。
大村高校の体育祭が、奇妙な4分割名称にされてしまった現実から考えれば、現在の大村高校では、なんでも軽くすませてしまう人が増えてしまったのではないかと、危惧(きぐ)されるのだ。
この写真の時代は(2006年まで)、競技も応援も学年対抗でした。30回卒は、高1の時も、高2の時も、高3の時も、応援は優勝しました。競技は高2の時に優勝しました。
このころ、高校の体育祭に親は出席しなかったと思う。私の親は3年間、体育祭には、でてこなかった。男子の場合、クラスの大半が教室に集まってヒルメシを食べていたように覚えている。「高校生にもなって、体育祭に親が顔を出すなんてチョーかっこワル」といった気持だったように覚えているが。




