2005年08月24日

●最後の球技大会

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高校時代最後の球技大会。高3(1977年6月)ころだったろうか。雑草がボウボウと繁茂していて、木々が元気そうなので初夏だろう。たぶんそのころだろうか。


期末テストのあとは、いつも球技大会だった。テストあとのガス抜き、あるいはフラストレーションの発散目的だったと思うが、タイミングよく、いい行事が練られていた。


この日、私のクラスは決勝に進出。写真は、試合に勝った直後で、士気が高揚していた。種目はソフトボール。単純だったが、この種の行事は重要だった。3年の球技大会参加は1学期で終了。あとは大学受験へまっしぐら。


このころ、国立大学は2校受験できた。一期校と二期校とよばれていた。足切りがなかった。


長崎大学、九州大学、熊本大学、宮崎大学、大阪大学、京都大学、東京大学などが一期校で3月上旬に試験。


佐賀大学、鹿児島大学、大分大学、九州工業大学、横浜国立大学などが二期校で3月中旬試験だった。


もし浪人したら、共通一次が始まり、その点数で足切りが始まると噂され、先生方は「できるだけ浪人するな」という進路指導をされていた。


先生方は視野がせまかったのか、ウソをついておられたのか、今となっては、わからない。大村高校のみならず、長崎県の普通科高校全体の教育方針が、地方国公立向け受験対策で、当然ながら、国公立に不可欠な数学にかなりの時間が割かれていた。


ところが、私と同じ年代で、福岡市の某公立有名校に通っていた「いとこ」に聞いたところ、長崎県と福岡県とは進路指導や受験対策がことなっていることがわかった。


地方国公立大学と、東京の私立大学では大きく出題傾向が違っているが、長崎県では国公立向けだった。選択の余地がなかった。


そこで、冬休みは3年間(夏休みは、きちんと大村高校の補習を受けた)、大村高校の補習授業は「風邪で高熱が出て動けない」との理由で休み、福岡市内にある親戚宅に泊まり込み、福岡市親不孝通りにあった予備校に通った。


私は、浪人した。共通一次は受けなかった。


文科系の大学は、東京の大学に入らねばダメなのだ。大学生の親戚から、なぜそうなのか、聞いていた。だからそうした(理由は長くなるので省略)。


そんなことを思い出した。


昔はスカートが長かった。写真を見てそう思った。

Posted by 管理人 at 2005年08月24日 01:22
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