2004年12月21日
●雪とマフラーと長崎西高と
高2(1977年)の2月。

この日、国鉄(現在のJR九州)大村線は止まり、県営バスは運行停止、そして国道34号は閉鎖された。朝のNHKローカルニュースやNHKラジオ、NBCラジオで県内各学校の状況が流れた。
大村高校は半日だけ休みとなった。大半の生徒は喜んだ。なぜなら、その日は期末テストだったからだ。この半日の勉強時間ボーナスは大きかった。
大雪で半日休みだとわかったので、当然、朝、大村高校には行かず、大村園芸高(現在の大村城南高)で写真を撮影した。雪で濡れないように、カメラをサランラップでくるみ、三脚を用意してセルフタイマーで写したもの。
マフラーは下記写真の長崎西高(30回卒)の女性からプレゼントされたもの。生まれてはじめて手編みのマフラーをいただいて、うれしかった気持も上記写真に表現されている。

(プライバシーに配慮して目線を切りました)
*1976年長崎西高関連の高校総体写真+試合写真などは長崎西高30回卒同窓会の管理人さんに、すでに送ってあります。
このころ、使い捨てカイロが発明されておらず、携帯で暖(だん)をとるには、ベンジンを使用したカイロだった。何となく、昔のカイロは、年寄りくさくて、高校生には使いにくかった。このころは、カイロと言えば、じーちゃん+ばーちゃんが使うものだというイメージがあった。
写真の時代は、30年近く前で、地球温暖化も始まっておらず、大村でも毎年雪が降っていた。
2004年12月のTVニュースによれば、今年の東京は、南国・宮崎市より平均気温が高かったそうだ。そういえば、上京したころ、東京のからっ風がほっぺたを切るようで寒かった。ここ数年、ほっぺたを切るような風が吹かないように感じている。
もう70代くらいの方々しか覚えておられないようだが、大村園芸高(現在の大村城南高)は、昔、長崎師範学校(長崎大学教育学部)だった。久原にも、下宿屋があって、私の実家でも、学生に部屋を貸していたそうだ。家賃を滞納して、そのまま逃げた学生もいたそうだ。しかし、今と違い、人を信じることができた。家賃を踏み倒して逃げた学生が、何年もたって、わざわざ、頭を下げて家賃を払いにきたことがあったそうだ。
*長崎大学教育学部の沿革に関しては、理由はわからないが、長崎大学はHP上には、第二次大戦前の沿革は公表していないようだ。
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