2004年12月01日
●夏合宿2
以下5枚の写真は1975年7月です。30回卒・高校1年時代
場所は、玖島崎に行く途中にある建物。
梶山御殿(かじやまごてん)が、夏合宿の会場でした。
現在は「教育の館」になっている梶山御殿(かじやまごてん)に関してはこちらです。
朝食をすませ、大高に出発前。
夜。
夜の勉強風景
勉強より親睦が中心だった。ときどきある先生の見回りの時だけ、なぜか静かになった。
夜のザコ寝(寝苦しかった)、さすがに、イビキをかく者はいなかったが。この当時は冷房がなかった。一般の家庭にもエアコンが普及していなかった。
このころ冷房があるのは市立図書館だけで、夏休みの昼間、大高生は、冷房を求めて図書館に集まっていた。冷房がとてもゼイタクな時代だった。T真珠のTくん(30回卒)も、よく図書館にきていて、テストの情報交換などをした。Tくんは、たいてい冷房の吹き出し口の真下席に陣取っていたのをおぼえている。

Tくんとの後日談だが、大学生の時だった。夏、東京から大村に帰省した日だった。
長崎大水害(1982年7月)の前年だった。
私は、羽田(東京)から飛行機で長崎空港に到着した。大学生だったし、カネがなくて、徒歩で大村市内の自宅に帰ることにして、空港大橋(箕島大橋)をわたっていた(バブル、つまり1988年ころの前は、ビンボー・金持ちの区別がなく、今の階級のようなものがなかった)。気楽な時代でした。
突然、クラクションが鳴り、立ち止まるとTくんが車を運転していた。夏だというのに、なぜか、窓があいたポンコツ国産車だった。このころ、大学生でクルマを持っている人はほとんどいなかった。大学の同じクラス(53人)でも、親のものではない個人の自動車を所有している人は1名でした。そんな時代でした。
Tくんは関西の大学へ通っていた。かなり早く帰省したようだった。
Tくんのクルマは冷房がついていなかった。汗をダラダラ流しながら、ドライブし、Tくんから誘われて、あこや荘(Tくんの自宅)におじゃまして、食事をごちそうになった。そんなことがあった。
このエントリーのトラックバックURL:
http://omura-highschool.net/blog/mt-tb.cgi/46




