2008年01月21日
●片山先生のこと
思い出したので書いておく。

高校時代、数学の片山先生がこう言われた。
「大人になれば、大学入試程度の現代文の問題は、勉強しなくても、正解できる。ただし、新聞や本を読み続けることが前提だ」と。

この日、先生は、高校時代には、スタンダールの「赤と黒」くらいは読んでおけとおっしゃった。
すぐに、当時、大村本町アーケードにあった文光堂という本屋で、文庫本を購入して、私は読んだ。

それから、20年以上の月日が流れた。
まだ、年数はあるし、少し早いのだが、子供の中学入試に向け、国語の入試問題にチャレンジ。

まず、私が、大学入試用の問題集を購入して、解いてみた。
出口の現代文レベル別問題集 上級編だ。難関私大・国公立用となっている。
「な~んだ」という感覚で、全問正解できた。いや、これは、何かの間違いかもしれないと思い、自分の奥さん(学習院大学法学部卒)にもチャレンジしてもらった。やはり、全問正解した。
高校時代と違って、すぐに答えがわかってしまう。しかも制限時間の半分もかからないで、すぐに正解がわかってしまうのだ。出題者の意図も見えてしまう、奥さんも同意見だ。
問題演習のあと思ったことは、もしかしたら、高校の国語の先生は、なまけものかもしれないと。あんまり努力しなくても、問題が解ける人が多いのではないかと感じられたため。
さて、結論は、高校時代に、数学の片山先生が言われたことは正しかったことが証明されたということ。
学校のレベルにもよるが、国語に関しては、大学入試の現代文より、私立中学の入試問題ほうが難しいように思えた。考えさせる問題が多かったので。
2008年01月04日
●一年目のクラスメイト
高1時代のクラス写真だが、高1時に撮影したものではない。高2時に高1のクラス写真を撮影したもの。なぜなら、高1のときに撮影したクラス写真がなかったと、誰かが言いだしたので、撮影することになった。
この写真もネガのまま30年近くねむり続けていました。
したがって、写っている人には配布していませんでした。
みなさま、写真のできあがりが遅くなってしまい申し訳ありませんでした。すでに亡くなっているクラスメイトもいます。ご冥福をお祈り申し上げます。
左から二番目の学生服姿のクラスメイトの男性の甥御(大村高校から、現在、北海道大学在学中)さんから、メールをいただきました。とりあえず、お伝えいたしました。
2006年03月31日
●剣道の先生 1975
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格技(剣道)の先生。名前は思い出せない。剣道の前に、「もくそう(黙想)」と言って、メディテーション(瞑想)をやって、精神統一して、稽古も試合もしていた。まさに、武道。真剣勝負。
アメリカやブラジルの剣道では、武道も、フェンシングなどと同様、こころの修養のない、ただのスポーツにすぎないと考えられているようだ。なぜなら、瞑想して試合には臨まない。武道の道(どう)がない、ただのチャンバラになっているのを目にしたことがあるからだ。ただ、勝てばいい、というものではないだろう。稽古を通じて、精神力を鍛える目的もあるはずだ。
この先生は、小説やTVドラマに登場する宮本武蔵風の、ヘアスタイルだった。
2005年09月15日
●秋の球技大会1975
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1975年・秋、大村高校グランドにて。
テストあとの球技大会。
写真は29回卒(1学年上)の先輩の方々です。特筆すべきことは、この中に、80年代~90年代に長崎の地方区選出で、お父様が衆議院議員になった方のご令嬢が写っています。
ほか、後輩の面倒見がよく、行事に積極的に参加するタイプの先輩で、のちに九州大学文学部に合格した方も写っています。
初秋で、すこし寒い風が吹いていた日でした。球技大会は、学年が入り乱れての対抗戦でした。私の1年のクラス女子が、写真の2年のクラスと試合した時のものです。
国道34号線(長崎~大村~福岡)を背にして、大村高校体育館方面を撮影しました。
2005年08月28日
●屋上より
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2005年8月27日の続き
2005年8月27日ブログで、屋上の方々が観ていたのは、マラソン大会前の練習風景です。放課後、有志たちが練習していたもの。写真は、全員1年生です。上の写真に写っている方々の名前は、全員わかります。
写真は、大村高校屋上から、大村高校裏門より出た場所にある、踏切そば。滅多に使用していないズームレンズ(90ミリ-250ミリ、F4.5)で撮影。
この当時のマラソン大会:男子10キロ、女子5キロ
現在、高校生の体力低下のため、大村高校では、男子が8キロ、女子が4キロ程度に変更されているようです。
2005年08月27日
●屋上にて
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高1。
私は選択していなかったので、習ったことがないが、写真右側の先生は、地学の小柳先生(白衣着用)。小柳先生は93年頃お亡くなりになられました。
理科(物理、化学、生物、地学)の先生が白衣なのは納得できる。実験があるからだ。実際、日々、白衣を着用されていたせいか、写真の小柳先生はサマになっていた。
ところが、白衣を権威の象徴だと考えて、理科(物理、化学、生物、地学)ではないのに白衣を着用したがる妙な教員がいた(私たちの学年では、そんな教員がいなかったか?いや、1人だけいた。酒くせの悪い英語の教員が、夏場を除き、始終、白衣を着用していた)。自己満足だったのか。
高校で、体育の先生以外が、ジャージ姿で授業したら、やっぱり変だろう。その感覚。
写真左側の先生は、国語の福岩先生。福岩先生は、大村高校に異動されて初めての年だった。古株の教員たちから、仲間に入れてもらえていないようで、遠足でも、その他の行事でも、先生はよく1人でおられたようだ。そのかわり生徒とコミュニュケーションをはかっておられたように見えた。
後ろ姿の全員の名前はわかるのだが、ここには書かない。
みんな、屋上で何をしているのか?何のために集まったかは、明日をお楽しみに。
2005年08月25日
●初めての球技大会
▲(上)大村高校に入学して2か月くらい。1975年の六月下旬か七月上旬に開催された、新入生にとって、はじめての球技大会。体育館にて、1年4組女子クラスメイト。
▲(上)同時開催の教員球技大会。バレーチーム。
2005年06月10日
●みずむし先生

数学のM本先生。
M本先生は、夏場だけではく、春も秋も、よく足を洗っておられた。また、靴ではなく通年、ゴムゾウリをはいておられた。このM本先生の行動を知っている生徒は、「ミズムシ」あるいは「インキン」などとアダナをつけていた。
きれい好きだったのか、あるいは本当にミズムシだったのか。今となってはわからない。
ほかに、国語の鶴(つる)先生もゾウリだった。学校内で、靴を履いておられたのを見たことがなかった。
写真は、大村高校正門からダイレクトの3年1組教室前で。
ネガに損傷があるため、写真にもキズがあります。
2005年06月09日
●春、クラブのシーズン


入学直後、春のクラブシーズン。大村高校につながる坂のダッシュ。陸上部。
このころ、長崎から、東京の電話代は3分720円もした。
2005年05月11日
●コラボレーション

1年5組だろうか?
日経新聞などによれば、現在のゆとり教育では、この写真の当時(1975)の年代とくらべ、三分の一の分量しか学習しないそうだ。
コラボレーションというか、分担協業というべきか。高1時代、毎日、大量の数学の宿題が出ていた。成績優秀者を除き、凡人(私を含む)は一人で処理できる問題量が限られていた。したがって放課後に協業し、問題を解いていた。
このころ、福岡では、「Soul Train(ソウルトレイン)」という、当時の最先端だった米国のダンス+音楽番組が深夜放送されていた。日本の音楽番組とは異なる構成だった。司会はドン・コーネリアス。遅れた長崎県では放送されていなかった。福岡市にある母方の親類の家に行ったときにいつも見ていた。当時はビデオがなかった時代だ。
長崎県大村市の家で、私は、どうしてもその番組を見たかった。そこでどうしたかといえば、自宅のTVアンテナを福岡方面に向けた。屋根に登り、テレビアンテナを竹と屋根馬で高くして、地図とコンパスで計測して。福岡からの微弱な電波だったので、受信状態が悪く、ひどい画面で、別の星からの電波のようではあったが、なんとか福岡の放送が映ったときには感激した。
この行動の副産物として、アンテナの方角を変えると、サガテレビや熊本の放送も受信できることが判明した。




